院長紹介
佐々木達也と申します。
現在35歳、3児の父親です。
越石鍼灸院にて9年間勤務し臨床経験を積んだ後、
独立し、2020年に出張専門サロン仙灸堂を開業。そして2022年に大泉学園にお灸サロン仙灸堂をオープン。
そんな私のプロフィールをご紹介します。
【子供時代〜鍼灸学校卒業まで】
東京で生まれた後、千葉県船橋市で育つ。
今も体はヒョロヒョロなんですが、
小さいころ 私はも〜っとヒョロヒョロだったんです。
小学校入った頃からか、小児喘息を発症し病院へ通うようになりました。
しかし通ってはいたもののなかなか良くならず、夜中に発作を起こしては父に車で病院に連れて行ってもらうこともしばしば..
夜中の病院で吸入をして楽になるということを繰り返し、年に数回は入院するほどの状態でした。
(当時は苦しくてそれどころではありませんでしたが、毎回夜中に病院まで連れて行ってくれていた父には感謝しかありません。)
そんなことを繰り返しながらも、なかなか良くならない喘息。
「もっと空気のいいところへ行こう」と、小学校高学年の時に千葉県大網白里市に引っ越し、それが良かったのか少しずつ発作も少なくなり、中学生になった頃には野球部へ入部。
野球なんて別に好きでも嫌いでもなかったんです。ただ友達が野球部入るっていうから野球部選んだだけ。
練習熱心ってわけではないんですが、そのころからしぶとさはあったんです。
練習がきつくて周りの友達がどんどん辞めていったのに何故か3年間続けていました。
(めっちゃ下手くそなので万年ベンチ)
ここで体の基礎みたいのが鍛えられましたね。
スポーツテストも確かEとかだった気がするんですが、高校入る頃にはAになってましたもん。
高校ではハンドボール部、大学では方向転換して吹奏楽部に入りメチャメチャ楽しんでました。
で、大学の学部が「ヒューマンケア学部 身体機能ケア学科 はりきゅうコース」
という、なんとも長ったらしいところに入ったわけです。
えっ⁉︎「はりきゅう」なんて今までの生い立ちで全く出てきてないじゃないですか!なんて思った方もいるかもしれません。
実は親の職業は… はりきゅう師…
ではなく「サラリーマン」なので関係ありません。
では、なんでこの道を選んだのか?
体が弱かったから? はりきゅうに惹かれたから?
自分でもはっきりとはわかりません。
第六感ってやつだったのかもしれません。
【鍼灸師になって〜仙灸堂オープン】
鍼灸大学で学ぶ傍ら、バイトもいくつか経験しました。
飲食店、リラクゼーションサロン、整骨院
リラクゼーションサロンでは人に感謝されることの喜び、
整骨院では、効率よく手際良く動く方法を学びました。
しかし、自分がやりたいこととは何かが違う。
そう思いながら、本当にやりたいものを見つけたのは、図書館で鍼灸関連の本を読み漁っている時でした。
この業界ではかなり有名な本なのですが、そこに乗っている先生の生き様、治療に臨む態度などかっこいいんです。
もう『これだ!!』って感じでした。
その先生がメインに行っていたのがお灸だったんです。
その時、お灸で食って行こうって決めちゃいました。
卒業後は、とある治療院で働きながら、お灸の先生探しです。
ところが、どうしたもんかあれだけ有名な本があるにもかかわらず、
お灸をメインで治療している鍼灸院はほとんどないんです。
いや〜もう、ほんっとに少ないんです。
そんな時、奇跡的に探し当てたのが
私の師匠の鍼灸院『越石鍼灸院」だったんです。
お灸の治療がメインで、鍼はほとんど使いません。
全身に芸術的にも見えるお灸をみて感動したのを今でも覚えています。
研修に行かせてもらい、そのうちにスタッフとして働くことになりました。
院長の越石まつ江先生は、ここでの学びは大きすぎてとても書ききれるものではないのですが、
常識もなく未熟な私に厳しくも優しく、治療技術だけでなく、治療家としての心得、いやもっと根本的な人間としての心得みたいなものを教えていただきました。
ここでもしぶとく10年近く置いていただきました。
越石鍼灸院で働くかたわら、漢方をあつかう「ゆずるクリニック」で鍼灸治療にあたらせていただいたり、
各種勉強会で学んだ経験全てが私の治療の肥やしになっております。
そして気が付けば卒業して10年が経っていました。
そろそろ次のステップに差し掛かったと思い
2020年「出張お灸サロン仙灸堂」がオープンしました。
とにかく「しぶとい」「粘り強い」というのが私の持ち味
お灸をさせていただくからには、しっかり対応させていただきます!!